昔に訪れた燕三条駅
カトラリー検定のテキストブック「なるほどカトラリー」での勉強を開始しました。
久しぶりの図書館に行ってきました。
静寂に包まれていて集中できますね(そして、たまに眠くなります。)
1章は「燕産業のルーツを探る」です。
読んでみて興味深かったのは2つ。
1つ目 燕だからカトラリーができた
明治時代にカトラリーが欧米から伝わった際、燕以外にもカトラリー生産に手を上げた所があったそうです。
しかし、それは失敗に終わったようです。
燕の職人さんの昔話を読んだことがあるのですが、発注者からの難題に対して最初は「できっこない」と言いながらも、
「どうすればできるか」を考え、試行錯誤を繰り返し、最後には期待に応える製品を作ったそうです。
職人気質、こだわりがあって、ものづくりが好きで、頼まれたら応えたくなる、そんなプライドを持った職人さんがいたから燕はカトラリーの産業化ができたのだと思いました。
どこでも、だれでもできるものじゃない、大学で言う東大エリートみたいなものなのかな(例えがわかりにくいですか笑)。
2つ目 出る杭は打たれる
燕市のカトラリー生産量は右肩上がりに伸びます。
昭和30年台には1,000万ダースを超え、その内輸出が9割、うち7割はアメリカに行ったそうです。
燕産カトラリーは品質が高く、円安の影響もあって競争力が高かったのでしょうね。
この状況にアメリカと貿易摩擦が発生、翌年には輸出量を590万ダースに自主規制する事態に。
この他、ドルショックやオイルショックの度にカトラリー産業は翻弄されたそうです。
ひとたび戦争が始まれば材料は軍に徴収され、カトラリーは敵性品(敵国由来の商品)とみなされ生産中止に。
そんな中で続いてきた燕のカトラリーの凄さを知りました。
かたい話になってしまいましたが今回は仕方ないですね。ご容赦を。
次回は「2章 主なカトラリーの種類」を勉強します。